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デーブ・ロバーツ(David Leonard Roberts, 1933年6月30日 - )は、パナマ共和国パナマ市出身のプロ野球選手(内野手)。 == 来歴・人物 == にプロ入り。数球団を渡り歩いた後のにヒューストン・コルト45'sでメジャー初出場を果たした。その後、ピッツバーグ・パイレーツを経てにNPBサンケイアトムズへ入団。シーズン開始前、同僚の豊田泰光とのバット談義でこれまで使っていた「重く長いバット」を「軽く短い日本製のバット」に変えてみたところオープン戦で結果を残すようになる〔【3月24日】1967年(昭42) 日本製バットで本領発揮 苦労人ロバーツ、来日初アーチ - スポーツニッポン、2009年3月配信〕。NPBでの初本塁打は4月22日、後楽園球場での対読売ジャイアンツ1回戦で記録している。 当時の同僚であったルー・ジャクソンとともに弱小だったアトムズ打線を支え、特に長打力はリーグトップクラス。セントラル・リーグの本塁打王争いでは独擅場であった王貞治の牙城を度々脅かしたが、タイトル奪取は叶わなかった。特には8月半ばまで打撃3部門でトップに立ち三冠王も期待されていたが、8月20日の巨人戦でベースカバーに入ろうとした投手と塁上で衝突し負傷、復帰に3週間を要し結果タイトルは一つも取れなかった。同年9月18日の阪神戦では1試合3本塁打を放ち、外国人選手としてはNPB最速の通算100号本塁打を記録している〔ベースボール・マガジン社『東京ヤクルトスワローズ40年史』43ページ〕。 1960年代の助っ人外国人選手の中では成績はトップクラスで、アトムズには、計6年半在籍した。ヤクルト(前身の国鉄、サンケイも含む)に入団した外国人の在籍期間としては、アレックス・ラミレスがに並ぶまでトップ、また同球団での本塁打数「181」もラミレスに破られるまでは外国人記録であった。 、チームがジョー・ペピトーンを獲得したことに伴いロバーツはシーズン途中で近鉄バファローズへ移籍。近鉄ではわずか2本塁打しか打てず、同年オフに引退・帰国し、その後はマイナーリーグのチームで打撃コーチを歴任した。 日本文化に積極的に溶け込もうと努力し、NPB在籍中は大きなトラブルも起こさずチームメイト・首脳陣からの信頼も厚く「日本人以上の日本人」と言われていた。シーズンオフには帰国せずに上智大学の聴衆生として英文学と数学の授業を受講していた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「デーブ・ロバーツ (1933年生の内野手)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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